日本遺産「女人高野」を巡る2024

大阪府

日本遺産「女人高野」を巡る2024のイメージ

日本遺産「女性とともに息づく女人高野」のストーリーを構成する名刹を巡って楽しむデジタルスタンプラリーです!

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「82889」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

室生寺 表門

奈良県宇陀市

室生寺 表門のイメージ

奈良時代末、東宮(のちの桓武天皇)の病気平癒を願った興福寺の僧賢憬(賢璟)が創建しました。その後、一時衰退しましたが、江戸時代の元禄年間に五代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院の庇護を受けて再興されました。この頃から、同じ真言宗で女人禁制だった高野山金剛峯寺に対し、室生寺は女人の参詣を受け入れていたため、「女人高野」と呼ばれ、女性の信仰を集めました。また、屋外に建つ古塔として日本最小の五重塔(国宝・高さ16m)は「女人高野」にふさわしい珠玉の美しさです。

慈尊院

和歌山県伊都郡

慈尊院のイメージ

弘仁七年(816)空海が高野山を開創し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として寺の庶務を司る政所を設置しました。その後、空海の御母公が四国より訪ねてこられましたが、当時の高野山は女人禁制であったので、この慈尊院で暮し弥勒菩薩を信仰されました。御母公の没後、伽藍を整備し弥勒菩薩を祀ったので、以後女人禁制の高野山に対し、「女人高野」とも呼ばれるようになり、子授け、安産、授乳などを願う多くの女性たちが参拝されます。

総本山金剛峯寺 不動坂口女人堂

和歌山県伊都郡

総本山金剛峯寺 不動坂口女人堂のイメージ

女人堂として唯一現存する不動坂口女人堂は、高野参詣道京大坂道不動坂の終点に位置します。平屋建てで女人禁制が解除されるまでは、女性の参籠所・参拝所として利用されました。高野山は空海によって開かれた真言密教の根本道場であり、僧侶が修行に専念できるよう「女人禁制」を行いました。お大師さま(空海)に導かれた女性や高野山への思いを募らせる女性が、このお堂までやって来て参拝するとともに、周辺の峰々を巡る厳しい「女人道」をたどりました。

天野山金剛寺 楼門前

大阪府河内長野市

天野山金剛寺 楼門前のイメージ

寺伝によると、奈良時代に行基によって創建され、平安時代には空海が修行したと伝えられています。平安時代末頃には荒廃しますが、高野山で修行した僧阿観が朝廷、武家の力を借りながら伽藍を整え、寺領を増やしていきました。この阿観に後白河天皇の妹、八条女院は深く帰依し、金剛寺は八条女院の祈願所になりました。この八条女院に仕えていた浄覚、覚阿姉妹が阿観の後を継ぎ、第二代、三代の院主となったことが「女人高野」と呼ばれる一因と考えられます。