南八下小学校から堺市東区内を巡り、さまざまな名所と出会うツアーです。
東区には名所がたくさんあります。ぜひ、東区の名所を巡ってみませんか?
全長約5㎞のコースとなっています。ぜひ、ご参加ください!
【本ツアー作成にあたっての参考文献】
東区役所企画総務課(令和6年3月). 『東区わくわく散策マップ』
南八下校区自治連合会、南八下校区まちづくり協議会(平成28年3月). 『『南八下風土記』 わがまちのおいたち・暮らし・実り』
南八下校区まちづくり協議会、南八下の町づくりを考えるワーキンググループ(平成24年6月). 『南八下生涯学習セミナー講演録 南八下とその周辺地域の歴史と文化』
南八下校区自治連合会、南八下校区福祉委員会(平成21年5月). 『わがまちの今・むかし 南八下の民話』
八下西校区自治連合会. ”八下西の歴史”八下西ふれ愛. http://yasimonisi.chobi.net/index.html(参照2024-09-17)
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「15415」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
初芝ラウンドアバウト
大阪府堺市
堺市内では唯一東区に3か所の円形の平面交差点があります。ここは信号機のない環状交差点「ラウンドアバウト」に指定されています。この町の安全安心をめざして都市開発されたといわれており、地域のシンボルとなっています。
また、この交差点は信号機がなくともスムーズな交通ができるため、災害時でも交通が機能するようになっています。
この初芝ラウンドアバウトから300mほど先にある似た形の交差点や、大美野にあるものは「ロータリー」となっており、東区の特徴の1つとなっています。
南八下小学校
大阪府堺市
明治5年(1872年)に「金田村郷学石原出張場」として石原村中仙寺本堂を仮校舎として開校し、今や創立150年を超える堺市の最も歴史がある小学校の1つです。
小学校内には「社会科資料室」があり、千歯こき、石臼などの地域で使われていた農具や、足踏み式水車や洗濯板、火鉢などの生活用品などが収蔵されています。
開校当時の通学区域は石原・菩提・引野の三村。翌明治6年、郷学制度が廃止し学区制度となり、「河内国第2番小学」と改称、その後「石原尋常小学校」、「八下尋常小学校」、「南八下村立小学校」と校名改称し、昭和33年(1958年)に南八下村が堺市と分村合併したことで「堺市立南八下小学校」となりました。
菩提町キュウリ緑地
大阪府堺市
美しく整備された住宅の東一帯にあり、多く植えられた桜が町並みを一層美しく見せています。春には桜まつりが開かれています。
八坂神社
大阪府堺市
京都祇園にある八坂神社の、各地にある分社の一つと伝えられ、おそらく約900年前から地域の氏神様として祀られています。
祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。日本神話でも知られるように、素戔嗚尊は災難厄除けや家門繁盛の神様として知られています。
境内には「手水鉢(ちょうずばち)」「灯篭(とうろう)」「狛犬」の三つがあります。入口より奥にある狛犬と、もう一つ奥にある灯籠は、いずれも江戸時代の年紀が入ったもので、手水鉢も江戸時代中期の年号が入っています。
また、境内の北東角に小さな祠があり、中を見ると石の厨子(ずし)があります。これは、悪霊が侵入するのを防ぎ、通行人や村人を災難から守るために村境、峠等に祀られる「塞(さい)の神」の祠で、非常に珍しいものと思われます。塞(さい)の神は「道祖神(どうそしん)」とも言われます。
中仙寺
大阪府堺市
融通念佛宗の寺院。当寺の開創年は不詳ですが、「大阪府全志」によれば、当寺に安置している地蔵菩薩坐像には永享四年(1432年)の刻銘があり、室町時代に納められたとの記載、「大念佛寺四十五代記録并末寺帳(大念佛寺所蔵)」によると、もと浄土宗だったものを寛文六年(1666年)に融通念佛宗に改宗したとされています。
明治5年7月に金田村郷学石原出張場が当時本堂に開校されたことから、南八下小学校発祥の地となっています。
本寺では大阪府指定有形文化財「牛頭天王坐像(ごずてんのうざぞう)」(木造像高59.0㎝)を所蔵しており、病気や災いを除く神として信仰されています。もとは隣接する当地の氏神様の八坂神社に祀られていました。
この像の特色は、顔が三面・手が四本の「三面四臂(さんめんよんぴ)」。正面から見ると三面であることを感じさせない配慮がされ、忿怒形でありながら直接的な怒りをあらわさない穏やかな感覚で表現されています。
頭と胴体を一本の木で削り出す一木造りという手法で造られていることから、平安時代後期の制作と考えられています。
吉田池
大阪府堺市
北堤からの眺めは最高で、はるか遠くには金剛山系の山並みが見え、手前には美しい池が広がっています。周囲には、地域の方が幼木から育てた桜並木も整備されていて、東区の桜の名所の一つとなっています。
南八下地域には多くのため池が存在し、吉田池もその一つ。ため池の名称が記されている最も古い資料「狭山池水下灌漑(かんがい)図」(慶長年間1600年頃)には狭山池を水源として東除川・西除川池水用水路流域に百三十余りの池が示されており、その中の重要な池の一つとして吉田池の名が見られます。
この池には「弁才(財)天」が祀られており、地域の方からは「弁天さん」と親しみを込めて呼ばれ、水田耕作になくてはならないため池を守るための神様として、昔からため池の守り神、水の神として祀られていたと推測されています。
また、平成元年(1989年)に池の改修があった際に大阪府が調査したところ、祭祀に使う須恵器(すえき)を焼く窯跡が出てきたそうです。
南八下地域会館
大阪府堺市
明治22年に新しくできた町村制により八上郡の小寺、大饗、石原、菩提、野尻、石原小寺錯雑地、大饗菩提錯雑地の村々が合併しました。八上郡の下にできた村ということから「八下」、南にあるから「南八下村」となりました。
南八下西公園
大阪府堺市
都市開発で引野小池に整備されている計画面積2.0haの公園で、現在0.93haが開設されています。
災害時の一時避難地の機能を有し、遊具のほか、多目的トイレなどが整備されています。
また、隣接しているグラウンドは、八下西校区が使用管理しており、平日はグランドゴルフ、休日は野球やソフトボールなど、地域の方々でにぎわっています。
引野公民館
大阪府堺市
昭和56年以前は南八下小学校に子ども達が通学していました。
しかし、児童が増加しマンモス校となったため、農業用ため池(小督池)を埋め立て、新しい小学校として「八下西小学校」ができました。それに伴い、通学・地域区割りが決められたことから、八下西校区が誕生しました。
引野三尊御佛堂
大阪府堺市
現在の引野三尊御佛堂は昭和42年10月に建造されました。中央には弘法大師像、向かって右側には不動明王(船形光背・石造り、高さ90cm)、左側には道標地蔵・子地蔵の2体の地蔵菩薩が祀られています。
地域の方からの情報では、御佛堂の東側に池があり、その埋め立てと同時に建造されたそうです。現在の御佛堂は南側を向いていますが、以前の老朽化した御佛堂は西側を向いていて、子どもたちが登校の待ち合わせをしたり、紙芝居を見たり、遊び場の一つとなっていました。
地蔵菩薩は、中世以降に子どもの守り神として信仰されるようになり、毎月24日は地蔵菩薩の縁日となっています。
関西や八下地域の各町内で行われている「地蔵盆」は、毎年8月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間のことをいい、そのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭りのことをいいます。
伝説によれば、地蔵菩薩が、親より先に亡くなった子どもが賽の河原で苦しんでいるのを救うといわれていることから、地蔵祭りにおいては、特に子どもが地蔵の前に詣り、その加護を祈る慣わしになっています。