西目屋村は、白神山地を舞台に何百年も活躍してきた目屋マタギの村です。
山の神様は女神様?
クマ狩のあとに必ずすることは?
天狗の土俵はなぜできる?
かつて、里では決して語られることのなかった、大自然と共生し命をいただく仕事の深い知恵と心に触れることができます。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「22915」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
道の駅「津軽白神」ビーチにしめや
青森県弘前市
「ブナ」を意味するビーチと名が付いた県内28番目の道の駅。
西目屋村は、弘前市から車で30分、岩木山の南麓に位置し、豊かな自然に恵まれ「源流の里」としても知られており、産直施設として1998年にオープンして以来、国内外から多くの観光客が訪れております。
2017年11月に観光情報施設を新設し、道の駅「津軽白神」として登録されました。
山菜・きのこ・りんごなど、季節に応じた地元の食材を豊富に取り揃えており、直売所ならではのお求めやすい価格でご提供しております。
奥目屋風土回廊
青森県中津軽郡
マタギと呼ばれた人たちの暮らしって?
西目屋村中央公民館1階に、白神山地に守られた山村の暮らしを楽しむことができるコーナーがあります。
かつて砂川学習館(旧砂子瀬小学校)に保存・展示されていたマタギの暮らしに欠かせない貴重な民具や、暮らしぶりがわかる写真が数多く移設展示されており、奥目屋の歴史・文化を知ることができる奥目屋風土回廊は必見です。
白神山地に行く前の予習にピッタリ。
マタギ小屋を再現した夜の森体験コーナーや奥目屋の暮らしなど、無料で見学することができます。
BUNACO CAFE
青森県中津軽郡
写真映えするインテリアにも注目!
ブナコカフェでは、西目屋産食材を使ったモンブランなどを楽しめます。
ブナの木で作られる工芸品「ブナコ」の工場が、旧西目屋小学校をリノベーションして2017年4月にオープンしました。
工場1階にBUNACO製品に囲まれたカフェがあり、店内にある青森県のかたちをした青いテーブルも必見!
カフェでは西目屋産はちみつ100%使用のピザのほか、はちみつバウムなどお持ち帰りできるお菓子も取り扱っています。
また、西目屋産の和栗とはちみつを使い、西目屋の魅力がぎゅっと詰まった和栗モンブランは、自分で絞って作る体験ができます。
和栗ペーストの量も選べるので、たくさん和栗が食べたい方にもおすすめです。
ぜひ家族やお友達と楽しみながら召し上がってください。
※西目屋和栗のモンブランは1日の数量限定品なので、必ず食べたいという方は予約がおすすめです。
乳穂ヶ滝
青森県中津軽郡
江戸時代から、滝が結氷した様子でその年の豊凶を占ってきました。
樹齢300年級の杉の大木に囲まれた境内の近くにある滝で、約33メートルの高さからさらさら降るように落ちていきます。
毎年2月の第3日曜日には「乳穂ヶ滝氷祭(におがたきこおりまつり)」が開催され、結氷した滝の太さや、形状等によってその年の作物の豊凶が占われる「豊凶占い」や「柴燈護摩祈祷」「火渡り」が行われます。
寛政8年(1796年)に菅江真澄がここに詣でて歌をよみのこしており、昭和24年地元有志によってこの歌は記録碑として入口に建立されています。
岩谷観世音
青森県中津軽郡
赤い鳥井の先に進むと、そこには珍しいお堂がありました。
赤い鳥居をくぐり階段を下りていくと、目の前には岩木川、対岸には「鷹ノ巣」と呼ばれる断崖が見えてきます。
手すり沿いに進んでいくと洞窟の中に祀られた珍しいお堂「岩谷観世音」があります。
藩政時代に川辺村の唐牛三左衛門が南部で、木戸の上に座し二本の角がある神馬を買い求めました。ある日、三左衛門は岩木川伝いに今の岩谷観世音前までの途中、めまいを起こしふらふらとなり落馬し、気がつくと鞍はお倉と呼ばれる岩壁に、馬は川沿いの洞窟に倒れていました。
三左衛門はいたく悲しみ、早速岩谷(岩壁の窪地)内にお堂を建てて馬の霊を弔ったのが由来として伝えられています。
岩谷観世音 マタギ小屋
青森県中津軽郡
吊り橋を渡った先に見えたものは…
岩谷観音駐車場から正面奥に進むと「岩谷観音橋」が見えてきます。
フワフワのウッドチップの上をぐんぐん進んで吊り橋を渡り、遊歩道を5分ほど歩くと「マタギ小屋」に到着します。
マタギたちは雪解けとともに里を離れ、水辺に小屋を建てて、狩猟活動の拠点・寝床にして熊を授かるのを待ったとされています。
目屋人形
青森県中津軽郡
深い渓谷に立ちのぼる炭焼き小屋の煙。
絣姿の目屋乙女たちは炭を背負って山坂を下り、里へと降ろしたとされています。
山奥から重い炭俵を背負って里に運んでいた若い娘たちがモデルと言われています。
初期の人形は猫背で苦痛の表情を浮かべていましたが、近作は背筋が伸びて微笑みを浮かべています。
昭和のはじめ頃より地方豊かなお土産品としてあった目屋人形。
時の流れとともに忘れ去られ消え去ろうとしていたところ、昭和59年に商工会婦人部の手によって可憐な目屋人形が復活しました。
現代では新築祝いや村から離れた人への贈り物として受け継がれています。
西目屋村役場の建物内には、大きな目屋人形が展示されていますのでご覧ください。