大多喜城は、1590年(天正一八年)本多忠勝(十万石)が築城し、本多氏三代(忠勝、忠朝、政朝)で国替えとなり、阿部氏、青山氏 稲垣氏、とかわり、1703年(元禄一六年)松平正久がこの地の移封して以来九代を経て、1871年(明治四年)廃藩、廃城となりました。現在の大多喜城は1974年9月10日城郭様式3層4階の鉄筋コンクリート造)の千葉県立総南博物館として開館しました。 ★展示品 日本刀、甲冑、火縄銃、武家社会の調度品等 ★イベント 甲冑試着体験 ライトアップ ■休館日 毎週月曜日 月曜日が祝日の場合火曜日 入館料 大人200円 中学生以下無料
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大多喜町観光本陣
千葉県夷隅郡
大多喜町観光本陣は観光案内所で、無料休憩所、トイレ、コインロッカーのご利用いただけます。チョイモビ、人力車、レンターサイクルの貸出、オリジナルブランド地酒、地元推奨品のお土産を取り揃えて皆様のお越しをお待ちしております。
メキシコ通りとメキシコ友好記念碑
千葉県夷隅郡
1609年ルソン島からメキシコに向かうサンフランシスコ号が9月4日御宿町岩田沖で座礁し乗組員373名中313名が救助され、大多喜城主本多忠朝が2代将軍徳秀忠に謁見。駿府の徳川家康を訪問し歓迎を受けた一行は、家康の建造した船で1610年6月13日浦賀港を出帆し10月27日にメキシコのアカプル港に到着した。
1978年11月にメキシコス大統領が来日訪問を受け、大多喜城に向かわれたことからメキシコ通りと名付けられた。
薬医門
千葉県夷隅郡
大多喜城の建造物は、1871年廃藩とともに壊されてしまいましたが、唯一薬医門だけが残され 二の丸跡の大多喜高校の玄関脇に移築復元されました。 薬医門は、大多喜城の往時の一端がしのばれる唯一の遺構である。
大井戸
千葉県夷隅郡
1590年(天正18年)本多忠勝が築城した時に掘られたもので、八角の井桁を組み、そこに八本の柱があって、杉皮ぶきの東屋風の建物であった。梁には八個の滑車とつるべ桶一六が用意されて、水を汲みあげたという。大多喜城には、大小25の井戸があり、その中で二の丸の井戸は、周囲17メートルもあって、言い伝えによると、50人の人夫で二昼夜汲み続けたが湧き水が多く,取止めたと言われています。現存する城内日本最大の井戸である。
大多喜城 大多喜城分館
千葉県夷隅郡
大多喜城は、1590年(天正一八年)本多忠勝(十万石)が築城し、本多氏三代(忠勝、忠朝、政朝)で国替えとなり、阿部氏、青山氏 稲垣氏、とかわり、1703年(元禄一六年)松平正久がこの地の移封して以来九代を経て、1871年(明治四年)廃藩、廃城となりました。現在の大多喜城は1974年9月10日城郭様式3層4階の鉄筋コンクリート造)の千葉県立総南博物館として開館しました。 ★展示品 日本刀、甲冑、火縄銃、武家社会の調度品等 ★イベント 甲冑試着体験 ライトアップ ■休館日 毎週月曜日 月曜日が祝日の場合火曜日 入館料 大人200円 中学生以下無料
大多喜水道跡
千葉県夷隅郡
大多喜城主大河内正質が、小高半左衛門にはかり、測量は三上七五郎があたった。明治3年(1870)5月に完成している。水源は大多喜町伊藤の山麓~神坊の瀧~城山の九十九谷の山腹~大多喜城二の丸に引き、それを城下へと引いた。その距離は5.7km、3分の2はトンネルでその数は8個所にも及ぶ。二の丸の高台からは、竹の節を抜いて、その継ぎ目は24cm四方の正四角形の木枡に穴をくりぬいて接続した。昭和29年に新水道が出来るまでの80余年の間、庶民の恵みの水を供給していた。
御禁止川
千葉県夷隅郡
大多喜城下をめぐる夷隅川は、城を守る天然の要害で御禁止川とよばれ、江戸時代一般の人は魚を獲ることを禁止されていました。御禁止川の名産品「むらさき鯉」は、参勤交代などの際に生きたまま将軍に献上したと言われています。
大手門跡
千葉県夷隅郡
大多喜城の正門で、幅25m深さ5mの堀に吊り橋がかかっていて、吊り橋は持ち上がる仕掛けとなっていた。
大手門の大手は、もともと追手と書き、敵に最初に遭遇する前面で名前が付けられたと言われている。大手門内には、番所や町奉行所があり、その周りには手代長屋があった。
四ツ門跡
千葉県夷隅郡
大手門まで直角に3回曲って大手門への入場道でした。本多忠勝の築城と、城下町の都市計画の時に立てられた。四ツ門には槍を持った武士が警備していた。
四ツ門の名前は城内から数えて4番目であることから名付けられた。門は敵の侵入を妨げ敵の動きを止め、味方の攻撃を容易にする役目があり、大多喜城への最初の門が四ツ門で重要な役目をしていた。