黒石藩初代領主、津軽信英は町割りを行った際に「こみせ」を造らせたと言われており、江戸時代には公共のものとして扱われていました。しかし、明治の地租改正により私有地となりましたが、現在でも多くの人々に利用されており、公共性の高いものとなっております。
平成17年には重要伝統的建造物群保存地区に選定され、伝統的建造物や藩政時代に造られた木製のアーケードである「こみせ」がほぼ当時のまま残るのは全国でも珍しいことです。「こみせ」は雨や夏の日の強い日差し、冬の吹雪から人々を守り快適な歩行空間であり、商人たちのやさしさが詰まっています。黒石藩は、たくさんの人々を集めるために多くの商業振興対策を取り、その結果、当時の弘前藩が妬むほどたくさんの人々が集まる町となりました。
弘前藩の支藩であった黒石城下は、弘前と青森港を結ぶ浜街道の中継地点として賑わいました。北前船でやってきた近江商人も大店を構え、豊かな町民文化が花開きます。江戸時代のアーケード「こみせ」や藩御用達の商家など、古き良き賑わいの面影にひたってください。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「13548」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
松葉堂まつむら
青森県黒石市
松葉堂まつむらは、創業100年以上の歴史を持つ和菓子屋です。このお店は特に「梅干し菓子」で知られており、その看板商品である「干梅」は、種を抜いた梅を干して紫蘇の葉でくるんだ津軽独自の梅干しに似ていることからその名前が付けられました。塩味とあんの甘さが絶妙に調和したこのお菓子は、地元では「めぼしがし」と呼ばれ、黒石の銘菓として親しまれています。
松葉堂まつむらの店内に大きく飾られる看板は、1915年に大正天皇が黒石を訪問した際に、宮内省買上のご栄光を賜ることを歓迎して作られたものだそうです。松葉堂まつむらはこみせに合わせた江戸時代の情緒を感じさせる佇まいで、落ち着いた雰囲気が特徴です。「干梅」の他にも様々な和菓子を取り揃えており、観光客にもお土産として人気となっております。
松の湯交流館
青森県黒石市
松の湯交流館は、かつては地域の人々に愛された銭湯でした。屋根を突き抜け、力強い生命力を感じさせる樹齢約350年の松の木が印象的な銭湯は、平成5年にその役割を終えましたが、今でも地域の人々にとって、裸のお付き合いをしていた時代の記憶が色濃く残っている場所です。
建物は藩政期にこの地に建てられ、旅籠(旅館)だった時期もありました。そこは旅人が旅の疲れを癒し、さまざまな情報を交わす場所だったことでしょう。その後改築を加えて銭湯に生まれ変わりますが、そこでも同じように、地域の人々が日々の出来事や催しの情報を交わし、また、経験や知恵を受け継いでいく場所でした。
「松の湯交流館」は、交流の場所としての意味を受け継ぎ、風の人(訪問者)と土の人(市民)が、語らい、ふれあい、笑いあうなど、様々な形で交流してほしいという願いが詰まった場所です。
寺山餅店
青森県黒石市
寺山餅店は、津軽の城下町で200年以上の歴史を誇る老舗餅店です。江戸時代末期に初代・寺山久左衛門が米屋として開業し、3代目からは餅屋を営むようになりました。以来、自家製にこだわりながら代々店主に受け継がれ、地域の人々に愛され続けています。
古くから津軽では、宵宮になると本家に親戚を呼んで飲み食いをさせる習慣がありましたが、時代の流れとともにその習慣は少なくなり、代わりに餅を配るようになりました。寺山餅店は、お正月やお彼岸などの年中行事に欠かせない存在として、地域の餅文化を彩り続けています。
文政7年から津軽の城下町で代々受け継がれてきた伝統の味を、ぜひ一度ご賞味ください。
高橋家住宅
青森県黒石市
高橋家住宅は、宝暦(1751年〜1763年)に建設された築270年以上の歴史を誇る建物であり、その風格と歴史的価値から国指定重要文化財に指定されています。高橋家の当主は代々「理右衛門」を名乗り、藩政時代には黒石藩御用達の米問屋として知られていました。
この風情ある建物は、藩の要人がお忍びで通った月の窓を有する隠し部屋や、米蔵、味噌蔵、文庫蔵などが今もそのままの形で残っており、当初の面影を色濃く伝えています。高橋家住宅は、黒石藩の御用達の商家として、そして米殻を扱う商家としての歴史を持つ貴重な文化財です。現在は、高橋家14代目当主が喫茶店を営み、晴れた日には隣接する庭園で黒石のおいしい水で煎れたお茶やコーヒーをいただくことができます。
(※2025年2月現在)
高橋家住宅の見学は無料ですが、個人住宅ですので限られた期間、場所だけの公開になります。また、冬の期間(12月〜3月)は公開しておりません。それ以外の期間でも公開できない場合があります。
鳴海醸造店
青森県黒石市
鳴海醸造店は、文化3年(1806年)に創業され、代表銘柄「菊乃井」として広く知られています。「菊乃井」の名は、2代目が菊の花を愛し、その芳香を酒に取り入れることで酒の楽しみを増し、御得意先にも喜ばれるように吟醸の絞りの際に槽口に菊の枝を置いて成功したことに由来しています。
創業以来200年以上の歴史を持つ鳴海醸造店お酒は、県産米とまろやかな南八甲田の伏流水を使用して作られ、その絶品さで多くの人々に愛されています。
また、鳴海家住宅は市文化財に指定されており、その庭園は国の登録記念物に登録されています。
中村旅館
青森県黒石市
中村旅館は、明治9年に遊郭「松月楼」として創業されました。現在は中村旅館として営業しており、140年以上も経つ歴史ある建物となっております。
入り口では玄関の木の門構えが目に飛び込み、門のそばには60年以上もお客様を迎え続けている松の木があります。建物に足を一歩踏み入れますと、正面にある朱色の階段はほかの木造部分とは色が異なっており、とても印象的です。
当時の屋号「松月楼」は、庭にある松の木の間から見える満月の上がる景色に由来しています。また、女将さんからは当時の店や街の様子を教えていただきながら、古い街並みや不思議な空間を楽しむことができます。宿泊以外の場合は、事前に連絡された方のみ旅館内を見学することができます。
金平成園
青森県黒石市
金平成園(澤成園)は、「大石武学流」と呼ばれる、津軽地方で広まった流派で作庭された庭園です。作庭は、黒石町出身の実業家・政治家であった加藤宇兵衛が、明治25年(1892年)に失業対策の一環として武学流3代目・高橋亭山に作庭を依頼したことから始まります。しかし、亭山は庭園完成前に死去したため、弟子の4代目小幡亭樹、5代目池田亭月が跡を継ぎ、明治35年(1902年)に庭園を完成させました。
庭園の名称は「万人に金が行きわたり、平和な世の中になるように」という宇兵衛の願いから「金平成園」と名付けられました。しかし、加藤家が明治30年(1897年)頃まで営んでいた酒造業の屋号「澤屋成之介」から「澤成園」とも呼ばれております。
庭園は池や木、石組が一体となって優れた景観が作り出されております。園内西側には明治36年(1903年)に建築された主屋と離れ、明治44年(1911年)以前に建てられた茶室があり、これらは宇兵衛の別荘や迎賓館として使用されていたと考えられています。
このように金平成園(澤成園)は、大石武学流庭園に特徴的な石組などが良好な状態で残されており、初期の大石武学流を理解するうえで重要な庭園であることから、平成18年(2006年)に名勝に指定されました。
冬の期間は閉園しており、入園することができませんのでご了承ください。
御幸公園
青森県黒石市
御幸公園は、歴史と自然が調和した美しい公園です。昔は馬の訓練を行う馬場として使用されており、黒石陣屋に隣接しています。
黒石藩は、弘前藩3代目藩主の弟である津軽信英が弘前藩から明暦2年(1656年)に5千石を与えられたことから始まりました。文化6年(1809年)には1万石となり黒石藩は大名に列しました。津軽黒石家が当初は大名ではなかったため、周辺にはお城ではなく陣屋が造られたそうです。黒石陣屋には、黒石藩の政庁が置かれていました。
現在は、春に桜が満開になり公園全体が美しいピンク色に染まり、多くの人々が訪れる憩いの場となっております。
九戸家住宅
青森県黒石市
黒石市14代目津軽承捷(つがるつぐかつ)の生家としても知られている。建築年代は定かではないが、文化6年(1809年)頃に建てられたものと推定され、黒石藩家中の家であったとされています。藩政時代の武家屋敷として武家の一端を知ることができることや建物の造りや部屋の配置から見て上級武士の住宅である可能性が高く、貴重な建造物です。
国の登録有形文化財に指定されており、武家屋敷の外観のみ見学することができます。