房総のルーツ 天富命と忌部氏をたどる館山~勝浦開運ツアー

勝浦市

※本ツアーは開催前です。

房総のルーツ 天富命と忌部氏をたどる館山~勝浦開運ツアーのイメージ

開拓のために阿波(徳島)から安房(千葉)へと渡り、房総半島に技術と文化をもたらした天富命と忌部氏の足跡をたどるツアーです。
千葉県の旧国名である総国(ふさのくに)は天富命と忌部氏が麻を植えたことに由来するともいわれ、特に南房総地域には安房、布良、白浜、勝浦など忌部氏ゆかりの地名や、天富命に関係する御祭神をお祀りする神社が多数あります。
開運神社として名高い安房神社、富を勝ち運をもたらす遠見岬神社と、両神社を結ぶルート上にある神社、旧跡を巡ります。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「13398」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

洲崎神社

千葉県館山市

洲崎神社のイメージ

天富命(アメノトミノミコト)の祖母神であり、忌部の総祖神・天太玉命(アメノフトダマノミコト)の后神である天比理乃咩命(アメノヒリノメノミコト)をお祀りしています。
鎌倉時代には源頼朝の崇敬を受け、石橋山の合戦に敗れ房総に逃れてきた源頼朝が源氏の再興を祈願し、田地を寄進したことから、再起・再興の神様として信仰されています。
また、鎌倉時代には源頼朝が洲崎明神を品川に勧請して品川神社に、戦国時代の初めには太田道灌が江戸城近くに勧請して神田明神とするなど広い信仰がありました。
境内からは美しい富士山を望むことができます。

洲崎(すのさき)神社
住所 館山市洲崎1697
アクセス JRバス関東洲の崎線「洲の崎神社前」下車徒歩2分 駐車場有り

洲宮神社

千葉県館山市

洲宮神社のイメージ

天富命(アメノトミノミコト)の祖母神であり、忌部の総祖神・天太玉命(アメノフトダマノミコト)の后神である天比理乃咩命(アメノヒリノメノミコト)をお祀りしています。
西岬の洲崎神社と同神で、洲崎神社が拝所、洲宮神社が奥宮であるともいいます。
神武天皇元年に天富命(アメノトミノミコト)が魚尾山に創建し、当時海辺にあったことから洲神または洲宮と称されたと伝わっています。文永10年(1273年)の火災で消失し現在地に移転されました。遷座した現在地も古代祭祀遺跡であったことがわかっており、境内から出土した祭祀用土製模造品と洲宮神社縁起、南北朝時代の木造天部立像が市の文化財指定になっています。また、毎年1月1日に農耕神事として行われる御田植神事も市の無形文化財となっています。

洲宮(すのみや)神社
住所 館山市洲宮921
アクセス JRバス関東南房州本線「洲の宮」バス停下車徒歩2分 駐車場有り

安房神社

千葉県館山市

安房神社のイメージ

安房神社の創始は、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年と伝えられています。神武天皇の勅命により四国阿波の開拓を終えられた天富命(アメノトミノミコト)は、阿波国に住む忌部氏とともに海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸し房総半島の開拓に従事されました。
房総開拓の成就を自分のご先祖である天太玉命(アメノフトダマノミコト)とその后神である天比理刀咩命(アメノヒリトメノミコト)に感謝するために布良の男神山・女神山にそれぞれお祀りしたことが安房神社の起源です。
主祭神である天太玉命は、天照大御神のお側近くにお仕えになられた神様で、中臣氏と共に朝廷の祭祀を司った斎部氏(忌部氏)の祖神にあたります。
天照大御神が弟神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)のあまりにも乱暴な振る舞いにお怒りになり、天の岩屋にお籠もりになられてしまった時には、中臣氏の祖神・天児屋命(アメノコヤネノミコト)と共に力をあわせて、大御神の御出現を願うためのお祭りを行なわれましたが、当社御祭神はそれ以外にも御自身の率いる忌部の神々を指揮され、このお祭りを行なうために必要不可欠な鏡や玉、神に捧げる幣帛や織物、威儀物としての矛や楯といった武具、社殿の造営などを司っており、ここから、日本における全ての産業の総祖神として崇敬されています。また、下の宮には天富命が祀られています。

安房(あわ)神社
住所 館山市大神宮589
アクセス JRバス関東南房州本線「安房神社前」下車 徒歩7分 駐車場有り

布良崎神社

千葉県館山市

布良崎神社のイメージ

主祭神に天富命(アメノトミノミコト)、相殿に素戔嗚尊(スサノオノミコト)・金山彦命(カナヤマビコノミコト)をお祀りする安房神社の前殿です。
房総に上陸した天富命は布良の一角を駒ケ先と称し、男神山に祖神・天太玉命(アメノフトダマノミコト)、女神山に御后・天比理乃咩命(アメノヒリノメノミコト)を祀りました。ここを出発点として房総開拓を進められ、天富命が安房を去ったのち、里人が天富命の徳を忍んで社殿を造営したものが布良崎神社といわれています。
社殿と鳥居が海に向かって一直線に並んでおり、富士山を望むことができます。

布良崎(めらさき)神社
住所 館山市布良379
アクセス JRバス関東南房州本線「布良崎神社」下車すぐ 駐車場有り

男神山・女神山、阿由戸の浜

千葉県館山市

男神山・女神山、阿由戸の浜のイメージ

天富命が阿波忌部氏を率いて四国から房総半島に渡った際、最初に上陸した地とされるのが布良の阿由戸の浜です。上陸した天富命は海岸にそびえる2峰の海岸に近い男神山には祖神天太玉命(アメノフトダマノミコト)、女神山には御后天比理刀咩命(アメノヒリトメノミコト)を祀りました。

男神山・女神山、阿由戸の浜(おがみやま・めがみやま、あゆどのはま)
住所 館山市布良
アクセス JRバス関東南房州本線「布良崎神社」下車徒歩約6分(阿由戸の浜)  
駐車場無し

下立松原神社(滝口)

千葉県南房総市

下立松原神社(滝口)のイメージ

天富命(アメノトミノミコト)とともに安房に渡り当地を開拓した天日鷲命(アメノヒワシノミコト)の孫の由布津主命(ユフツヌシノミコト)が、祖神の天日鷲命をお祀りした神社です。天太玉命(アメノフトダマノミコト)や天富命も祭神として祀られています。天富命らが安房に上陸した当時、野山に鹿が多く、住民がその被害に苦しんでたのを神々が狩りを行い安堵させた伝承があり、それに因んで旧暦11月26日から10日間、神事として神狩祭が行われます。石橋山の合戦に敗れ、安房に逃げのびた源頼朝が太刀を奉納し、再起を祈願したといわれています。

下立松原(しもたてまつばら)神社
住所   南房総市白浜町滝口1728
アクセス JRバス関東南房州本線「本郷」下車徒歩8分・日東交通豊房線「松原神社前」下車徒歩3分 駐車場有り

下立松原神社(牧田)

千葉県南房総市

下立松原神社(牧田)のイメージ

天富命(アメノトミノミコト)に従って、安房にやってきた阿波忌部の子孫である美努射持命(ミヌイノチノミコト)が、神武天皇元年に天日鷲命(アメノヒワシノミコト)をお祀りしたのが起源と伝えれられています。
源頼朝が、当社の末社である御霊白幡神社に源頼義・義家の木像と薬師如来の像、頼朝自らが書写した大般若経600巻を奉納しました。大般若経は明和9年(1772年)に境内の経塚に納められました。
この神社には鳥居がありません。源頼朝が石橋山の合戦に敗れ安房に逃れてきた時に戦勝祈願をしたとされ、その際に敗戦の身であることから鳥居を避けて脇から入ろうとしたところ、氏子達が鳥居を取り除き招き入れたとされることから、以来鳥居は作られることなく、鳥居の無い神社となりました。

下立松原(しもたてまつばら)神社
住所 南房総市千倉町牧田193
アクセス JR内房線千倉駅下車徒歩4分・日東交通白浜千倉館山線牧田郵便局前下車すぐ 
駐車場は南房総市朝夷行政センター駐車場を利用・徒歩5分

莫越山神社(沓見)

千葉県南房総市

莫越山神社(沓見)のイメージ

祭神は手置帆負命(タオキ ホオイノミコト)と彦狭知命 (ヒコサシリノミコト)。社伝では、天富命(アメノトミノミコト)が忌部氏を率いて布良に上陸して開拓をはじめた時、これに従っていた工人の小民命(コタミノミコト) と御道命(ミチノミコト)の 願いにより、その祖神2柱を祀ったのが始まりとされています。この二祖神は武具 (盾)・祭具・建築の工匠として知られる神。全国的にも稀な、神酒醸造神事を行う神社です。

莫越山(なこしやま)神社
住所 南房総市沓見253
アクセス 日東交通館山鴨川線「加茂瓦屋前」下車 徒歩8分 駐車場有り

莫越山神社(宮下)

千葉県南房総市

莫越山神社(宮下)のイメージ

手置帆負命(タオキホオイノミコト)、彦狭知命(ヒコサシリノミコト)をお祀りする、沓見の莫越山神社と同じ由緒を持つ神社 です。神社北側の渡度山(とどさん)、別名莫越山を御神体に遥拝所として造営され、神社周辺からは古墳時代の祭祀遺跡が複数発見されています。御祭神が工匠の守護神とされることから建築職人からの信仰があり、江戸時代末期には江戸を中心に結成された大工・左官などが組織す る祖神講の信仰を集めました.

莫越山(なこしやま)神社
住所 南房総市宮下27
アクセス 日東交通丸線「川谷」下車徒歩6分 駐車場有り

瀧口神社(太尾)

千葉県鴨川市

瀧口神社(太尾)のイメージ

平安時代後期の寛治4年(1090年)に鈴木玄蕃忌部義茂が天日鷲命(アメノヒワシノミコト)を祭神とする安房郡滝口村(現南房総市白浜町)の下立松原神社を太尾の地に勧請して滝口大明神を創建したといわれています。明治44年(1911年)の神社合祀政策によって太尾字若宮神社や太平の八雲神社を合祀したので祭神は天日鷲命ほか十一柱を数えます。

瀧口(たきぐち)神社
住所 鴨川市太尾445
アクセス 日東交通長狭線「大宮坂下」下車 徒歩7分

瀧口神社(花房)

千葉県鴨川市

瀧口神社(花房)のイメージ

天日鷲命(アメノヒワシノミコト)、素盞鳴命(スサノオノミコト)、應神天皇(オウジンテンノウ)、菅原道真 をお祀りしています。
後花園天皇の文安二年 (1445年)、里見義実公が当地の豪族東条氏を滅ぼして後、その家臣が漸次当地方に土着するようになり、それに伴って鎮護の氏神として奉斎崇敬したのが当社であるといわれています。明治元年9月西尾忠篤が封ぜられて花房藩を置かれた時、鎮守の氏神として尊崇されました。

瀧口(たきぐち)神社
住所 鴨川市花房874
アクセス JR安房鴨川駅から鴨川市コミュニティバス循環線「花房」下車 徒歩6分 又はJR安房鴨川駅から徒歩43分 駐車場有り

庤神社

千葉県鴨川市

庤神社のイメージ

創立年代は不詳ですが、往古の創建と伝えられていま す。治承四年(1180年) に源頼朝が安房に逃れ当社に平家追討の祈願を行い、後に所願成就したのでこの地を伊勢神宮に寄進し御厨(みくりや)としたと伝えられています。また、一説には源頼朝がこの地を瀧口神社の御厨料として寄進され、その後社殿を建てて瀧口庤神社と称したともいわれており、拝殿には「瀧口庤明神」の神額があります。

庤(もうけ)神社
住所 鴨川市西町701
アクセス JR安房鴨川駅から鴨川市コミュニティバス循環線「青果市場前」下車 徒歩12分 又はJR安房鴨川駅から日東交通鴨川市内線「亀の井ホテル鴨川」下車 徒歩29分

天富神社

千葉県鴨川市

天富神社のイメージ

天富命(アメノトミノミコト)が安房国を開拓した際、清澄山に登ったといわれ、その旧跡に土地の人々が社殿を建てて天富命を祀ったと伝えられています。昔は清澄山頂妙見山にあり、清澄寺が社僧でしたが、神仏分離の際に現在の地に移りました。
また、天富命の墳墓が清澄山の西隣にある富山(とみさん)にあり、その廟所が清澄の妙見山であったとの伝承があります。
境内からの眺めは「関東の富士見百選」に選定されています。

天富(あまとみ)神社
住所 鴨川市清澄323
アクセス JR安房天津駅からタクシー約10分 駐車場有り

明神の鯛

千葉県鴨川市

明神の鯛のイメージ

伝説によると、「天富命(アメノトミノミコト)が東房総平定のため海路よりこの岬に上陸し清澄寺を開き、長狭の平原を定め、里人に農事を教え、里人上陸の地を明神の岬と称した」とされています。約200mの沖合に水深3m~4m(干潮時)と大変浅い所にもかかわらず、黒鯛を始め多くの魚類が生息しています。小湊の「鯛の浦」と同様に、世界でも珍しい海域とされています。千葉県天然記念物指定。

明神の鯛(みょうじんのたい)
住所 鴨川市天津1
アクセス JR外房線安房天津駅下車徒歩9分 駐車場有り

遠見岬神社

千葉県勝浦市

遠見岬神社のイメージ

房総半島に技術と文化をもたらした天冨命(アメノトミノミコト)をお祀りする古社です。
房総の開拓を終えられた天冨命は、自身が安房の地にお祀りした天太玉命と天比理乃咩命を遠く見渡すことのできるこの地に住み、朝晩に遥拝されたといわれています。そして、天冨命がお隠れになると、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)の末裔である勝占忌部須須立命(カツラインベススタツノミコト)がその住居跡に天冨命をお祀りしました。これが遠見岬神社の起源と伝えられています。
はじめは遠見岬(現在の八幡岬)突端の冨貴島にありましたが、江戸時代初期の慶長津波により社殿が流されたため、現在の場所に遷座しました。なお、旧社地はその後の元禄大地震により海没しましたが、その一部が福島や平島として現在ものこされており、「平島の鳥居」は神社だけでなく勝浦のシンボルとなっています。また、江戸時代までは「冨大明神」と称し、富と勝ち運を授かる神としての崇敬を集めました。
近年では毎年2月下旬から3月にかけて開催される「かつうらビッグひな祭り」の会場としても知られています。社殿には「波の伊八」四代目の彫刻などがのこされており、境内からは勝浦の街並みと海を一望することができます。

遠見岬(とみさき)神社
住所 勝浦市浜勝浦1
アクセス JR外房線勝浦駅下車徒歩10分 駐車場有り