アートのまち館林と日本遺産里沼をめぐる一泊二日のツアー

群馬県

※本ツアーは開催前です。

アートのまち館林と日本遺産里沼をめぐる一泊二日のツアーのイメージ

館林市の自然と歴史・アートを、①②いずれかの方法で回るデジタルスタンプラリーです。
①時間優先で車を使って1日で効率良く回る。4~5時間で回れます。
②徒歩・レンタサイクル等を使って1泊2日でゆったりと楽しむ。徒歩となるため、二日合わせて8~10時間で回ることとなります。

① 各Spotを車で回り、リゾートホテルKOMORINUを最終Spotとする方法
最終Spotがリゾートホテル「KOMORINU」となっているため、コンプリート処理後、景品を受け取ることができます。モデルコースは以下の通りです。
東武伊勢崎線茂林寺前駅 → 茂林寺沼(展望台日本遺産案内板) → 茂林寺 → 多々良沼(日本遺産案内板) → 彫刻の小径(約3km) → 群馬県立館林博物館 → 東武伊勢崎線多々良駅 → 陽だまりの広場(彫刻鑑賞) → つつじ映像学習館(小暮真望ギャラリー鑑賞) → 城沼(つつじが岡公園芝生広場日本遺産案内板) → リゾートホテルKOMORINU。ここでコンプリート処理と特典のお渡し。

② 2つの駅のいずれかをスタート、ゴール。途中、里沼リゾートホテル「KOMORINU」に一泊する方法
「KOMORINU」はツアーの途中となっているため、ツアー特典のお渡しはできますが、コンプリート処理は行いません。コンプリート処理が必要な方は全てのSpotを回った後で、ご自身でスマホに特典受付パスコード(KOMORINUで係の方に聞いてください)を入力していただければ、コンプリート処理されます。
モデルコースは以下の通りです。
1日目 東武伊勢崎線茂林寺前駅 → 茂林寺 → 茂林寺沼(展望台日本遺産案内板) → 陽だまりの広場(彫刻鑑賞) → つつじ映像学習館(小暮真望ギャラリー鑑賞) → 城沼(つつじが岡公園芝生広場日本遺産案内板) → リゾートホテルKOMORINU(宿泊)。
2日目 ホテルKOMORINU(絵画鑑賞・特典プレゼント) → 多々良沼(日本遺産案内板) → 彫刻の小径(約3km) → 群馬県立館林博物館 → 東武伊勢崎線多々良駅
各スポットを回る順番は自由であるため、東武伊勢崎線多々良駅をスタートして、ホテルKOMORINUに一泊し、東武伊勢崎線茂林寺前駅をゴールとする逆コースでも構いません。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「90968」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

茂林寺前(もりんじまえ)駅

群馬県館林市

茂林寺前(もりんじまえ)駅のイメージ

 茂林寺は、館林市南端、茂林寺沼南西岸に位置しています。山号を「青龍山」と号し曹洞宗です。本尊は釈迦牟尼山といいます。寺仙によると開山の大林正通は、応永33年(1426)、守鶴を伴って当地に来住し一小庵を結びました。
 昭和2年に開設された当駅は、東方約1kmに青龍山茂林寺があることから駅名となりました。

茂林寺(もりんじ)

群馬県館林市

茂林寺(もりんじ)のイメージ

 当山は分福茶釜の寺として知られております。寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。
 元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
 その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正十五年(一五八七)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました。
 後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。

茂林寺沼(展望台日本遺産案内板)

群馬県館林市

茂林寺沼(展望台日本遺産案内板)のイメージ

 茂林寺沼(もりんじぬま)は、群馬県館林市にある沼。分福茶釜で有名な茂林寺の北側に広がり、野鳥や湿原動植物の生息地になっています。中央の茂林寺沼橋付近では、植物が枯れて堆積してできた泥炭層が 5 m 以上になっています。湿原の北側には自然護岸の茂林寺川が流れ、毎年6月下旬から8月にかけてヘイケボタルが見られます。スポットは茂林寺沼の説明パネル付近となります。

陽だまりの広場(彫刻鑑賞)

群馬県館林市

陽だまりの広場(彫刻鑑賞)のイメージ

館林市内には県内外で活躍する彫刻家による作品が「陽だまりの広場周辺」と「彫刻の小径エリア」に設置されています。芸術作品を鑑賞できるスポットとして親まれています

つつじ映像学習館(小暮真望ギャラリー鑑賞)

群馬県館林市

つつじ映像学習館(小暮真望ギャラリー鑑賞)のイメージ

 「つつじ映像学習館」は「つつじが岡公園」にかつて存在した「水産学習館」と「熱帯温室」の建物を利用して、2015年10月にオープンしました。
 二つの施設が閉館したのは2010年のことです。閉館後建物も取り壊してしまうのかと思ったのですが、幾何学模様のような特徴的な屋根を持つ焦げ茶色レンガ風の外観はそのままに内部だけ改装して、「つつじ映像学習館」は温室側に、素敵な「SUGAR HILL CAFE」は水族館側に同じ年の4月にオープンしました。カフェは外観も改装しましたね。
「熱帯温室」は外観の裏側全部が温室で、がらんどうと言うか、中の建造物は展望のための外周廊下やちょっとだけ突き出た2階スペースがあったくらいでした。しかし、現在はかなり複雑な構造になっています。

城沼(つつじが岡公園大芝生広場日本遺産案内板)

群馬県館林市

城沼(つつじが岡公園大芝生広場日本遺産案内板)のイメージ

 ここは毎年4月上旬から5月上旬にかけて、「つつじまつり」が開催されるエリアです。
この時期には券売所入口の店舗も営業しています。またこのエリアには推定樹齢800年を誇る「勾当内侍遺愛(こうとうないしいあい)のつつじ」を始めとする、つつじの古木群や宇宙飛行士の向井千秋氏(館林市出身)が宇宙へ持って行った種子を発芽させた「宇宙つつじ」が植生しており、毎年数10万人のお客様でにぎわいます。また、公園の歴史を広く知らしめ、館林市にゆかりのある著名人を記念し建てられた記念碑もあります。
その他、渡船に乗り、城沼を渡って北岸へ行ったり、城沼にてボート遊びを楽しんだりすることもできます。
毎年7月から8月にかけては、城沼水面に多くのハスの花が咲き乱れます。ここでは、そのハスの花を楽しむために船でのクルージングも行っています。
スポットは、城沼説明パネル付近となります。

里沼リゾートホテル「KOMORINU」

群馬県館林市

里沼リゾートホテル「KOMORINU」のイメージ

2024年春OPEN。群馬・館林の日本遺産「里沼」で、四季折々の自然やアウトドア体験を楽しめるホテル。キャンプ場併設、手ぶらBBQもOK。レストランの食事も美味しいですよ。日本遺産である城沼の湖畔で、それぞれの季節の雰囲気を感じながら素敵な宿泊体験ができます。

多々良沼(日本遺産案内板)

群馬県館林市

多々良沼(日本遺産案内板)のイメージ

 多々良沼(たたらぬま)は、群馬県館林市と邑楽町にまたがる沼。利根川と渡良瀬川に挟まれた低湿地にある湖沼群の一つ。実際の沼の部分は館林市にありますが、多々良沼公園は邑楽町にあります。冬になると白鳥が飛来します。また、かつてはタカノホシクサ(現在は絶滅)が生育する唯一の地でもありました。スポットは多々良沼の説明パネル付近です。

彫刻の小径

群馬県館林市

彫刻の小径のイメージ

館林市にある群馬県立館林美術館駐車場付近から多々良沼公園までおよそ3㎞に及ぶブナ林の中を抜ける彫刻の小径。ここに2019年12月現在およそ38体もの彫刻が要所要所に立ち並びます。スポットは高根グラウンドA球場の少し南側の道にある「彫刻の小径」案内板付近となります。

群馬県立館林美術館

群馬県館林市

群馬県立館林美術館のイメージ

 群馬県立館林美術館(ぐんまけんりつたてばやしびじゅつかん、英: Gunma Museum of Art, Tatebayashi、略称: GMAT)は群馬県館林市日向町の多々良沼畔にある美術館です。美術館のテーマは「自然と人間」。彫刻やインスタレーションを中心とした近代美術と現代美術が多いです。Spotは美術館、芝生の眺めの良い「美術館展望台多機能トイレ」付近となります。

多々良駅

群馬県館林市

多々良駅のイメージ

明治40年の開業時は「中野駅」と称していました。改称の理由のひとつにJRの中野駅と間違うからとのことです。明治22年4月、町村制実施の際に現在の大字成島・高根・木戸・日向・谷越の5ヵ村を合併して、「多々良沼」の名称を直ちに村名とし多々良村としました。
駅名は地名に由来すると思われます。