大糸線全通65周年

長野県

※本ツアーは終了しました。

大糸線全通65周年のイメージ

大糸線は1957年(昭和32年)8月15日に全線開通し、今年で65周年を迎えます。これを記念して、松本駅から南小谷駅までの運行区間で駅開業当初や全線開通時の情報、写真とともに楽しんでいただけるツアーを作成しました。
この機会に、ぜひこちらのツアーを楽しみながら夏の大糸線の旅へ出かけませんか。

※お知らせ
8月20日(土)、21日(日)「大糸線全通65周年号」を運転いたします。駅や車内では沿線自治体の皆さまによるおもてなしも!ぜひお出かけください♬

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「03146」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

松本駅

長野県松本市

松本駅のイメージ

開業 明治35年6月15日
標高 586メートル

 明治29年着工になった。だが、それも経済の変動や難工事で遅れ、松本まで開通したのは明治35年(1902)だった。
 松本駅の建物は、昭和17年4月改築したところ、昭和22年(1947)2月4日火災を起こし全焼した。急遽駅舎を再建したものの、それは仮駅舎的なものだった。昭和53年の長野国体が契機になって、ようやく念願が叶い、ステーションビル・セルヴァン併設の新駅舎となったのが昭和53年(1978)7月だった。
 松本駅は、県内二大旅客駅の一つで、大糸線と松本電鉄上高地線の分岐駅、松本電鉄との共同使用駅になっている。貨物の取扱いは、昭和43年(1968)6月に南松本駅に移された。

豊科駅

長野県安曇野市

豊科駅のイメージ

開業 大正4年1月6日
標高 553メートル

 大正4年1月4日開通式、6日から営業を開始した。駅周辺は一面の桑畑や松林だったが、開通以来道路も通じ、駅を中心に発展した。
 信濃鉄道は、昭和12年(1937)国鉄に移管になると同時に、呉羽紡績を誘致、原綿到着の専用線を設置、昭和35年(1960)には、丸善石油松本輸送所設立、ここへも専用線を設けたが、これは昭和57年9月末限りで廃止、呉羽紡績の専用線も昭和59年1月に廃止され、貨物の取扱いは廃止となった。

穂高駅

長野県安曇野市

穂高駅のイメージ

開業 大正4年7月15日
標高 546メートル

 この地は烏川と中房川の扇状地、豊富な湧き水と礫層で、ワサビの生産が明治初年この地一帯に広がっていた。明治末、篠ノ井線・中央線の開通で販路が広がったが、この地に待望の鉄道開通、駅開設により飛躍的に伸びた。一軒の民家もなかった駅付近にたちまち町ができ、ワサビ景気で数軒の料理店も出現した。
 穂高駅の駅名は地元の名称によったが、近くには穂高神社が鎮座する。この町出身の荻原碌山の遺作を展示する碌山館・中房温泉・有明温泉、また穂高カントリークラブ等、今や穂高はこの地方観光の拠点となっている。穂高駅は大糸線の代表的観光駅で、駅舎は穂高神社鎮座の地らしく、社殿形式の風格がある建物で、観光客に親しまれている。
 この駅も昭和55年1月には貨物の取扱い廃止となった。

信濃大町駅

長野県大町市

信濃大町駅のイメージ

開業 大正4年11月2日常盤村に設置
   大正5年7月5日現在地
標高 713メートル

 第1号の信濃大町駅は高瀬川の手前常盤村地籍に、大正4年(1915)11月停車場を設置した。
 現在地に大正5年(1916)7月駅を設置し、駅名は地元の大町に信濃を冠し「信濃大町」とした。それまでの、高瀬川右岸の駅は、上流に仏崎観音があり、駅を設けたあたりは仏崎道と言っていたので、駅名を仏崎としたが、この駅は翌6年に廃止された。
 信濃大町以北は国鉄で工事を進めた。中土まで開通したのが昭和10年、そして昭和12年(1937)に信濃鉄道が国鉄所有となり、松本ー中土間が大糸南線となった。
 信濃大町駅の貨物取扱いは、専用線を除いて昭和59年1月に廃止された。

信濃木崎駅

長野県大町市

信濃木崎駅のイメージ

開業 昭和4年9月25日
標高 760メートル

 信濃木崎は木崎湖と我が国最古の歴史を持つ夏期大学で知られている。木崎湖西南岸に、仁科氏累代の後詰めの城として重要な役割を果たした森城跡がある。“木崎”とは、その城砦の前面、即ち「城の柵の先」を意味する古い地名だろうという。
 この地に駅ができたのは、国鉄が信濃鉄道の信濃大町から簗場まで鉄道の建設をした時だった。
 8月に行われる木崎湖の灯籠流しには、昭和15年から臨時列車も運転されていた。しかし、並行する国道148号線が整備され、昭和38年の全面舗装以来、自動車の進出が目覚ましく、灯籠流しの臨時列車も昭和43年を最後に廃止された。貨物業務も昭和46年1月廃止となった。

白馬駅

長野県北安曇郡

白馬駅のイメージ

開業 昭和7年11月20日
標高 697メートル

 昭和7年(1932)神城ー信濃森上開通の時開設。当時村名は北條村だったが”四ツ谷”地籍だったので、その名に信濃を冠して「信濃四ツ谷」を駅名とした。
 昭和12年、信濃鉄道が国鉄に移管、大糸南線となったが、信濃大町以北は蒸気機関車けん引の客貨混合列車だった。信濃大町まで電車で来たスキーヤーは混合列車に乗り換えた。輸送力が小さく、年末年始の最盛期などには貨車を増結したこともあった。信濃大町ー信濃四ツ谷間の電化が昭和34年(1958)7月。それから急ピッチで輸送改善がなされ、一部特急列車も直通する。
 昭和43年(1968)10月1日「白馬」と改められた。昭和45年(1970)12月25日、鉄筋コンクリート造り二階建てとなった。この駅の貨物取扱いは昭和42年10月廃止された。

南小谷駅

長野県長野市

南小谷駅のイメージ

開業 昭和10年11月29日
標高 513メートル

 この地に駅ができたのは、大糸南線が信濃森上―中土間開通の時で、当時の村名が駅名になった。
 南小谷駅には、昭和32年に行き違い設備ができ、昭和42年(1967)12月、南小谷まで電化の時、駅本屋改築、鉄筋コンクリート造りの駅舎となった。南小谷までは電車、以北は電化されずディーゼルカー、全列車乗り換えのため、昭和43年12月跨線橋とホームの上家をつくった。貨物取扱いは昭和46年1月廃止された。