【大和川サイクル月間】古都に願いをこめて~神社仏閣巡り~

奈良県

【大和川サイクル月間】古都に願いをこめて~神社仏閣巡り~のイメージ

奈良県には歴史ある神社仏閣が多くあります。有名な法隆寺だけでなく「風の神様」として親しまれている龍田大社や「竹取物語」ゆかりとされるさぬき神社など意外と知られていない興味深い場所があります。

~大和川サイクル月間とは~
10/12(土)~12/1(日)の期間、大和川周遊サイクルスタンプラリー2024や各地で魅力的なイベントを開催します。ご家族等と地域の自然や街並みをご堪能ください。

~サイクルスタンプラリー~
全14コース!それぞれテーマを設けていますので、お好きなコースにご参加ください
※コース名や画像に記載している「大和川サイクル月間」が目印です。
※自転車運転中のながらスマホは罰則の対象です。(R6年11月道路交通法改正)
必ず立ち止まってご利用ください。

素敵な景品があたるかも…?詳細はHPをご覧ください。
応募フォームはこちら:https://forms.gle/pBhrrBqb6d1oZb1d7

~協賛企業等~
株式会社青木松風庵、株式会社あさひ、大阪市立クラフトパーク、株式会社オージーケーカブト、株式会社キャットアイ、近畿日本鉄道株式会社、サカイサイクル株式会社、四国開発フェリー株式会社、株式会社シマノ、シマノスクエア、株式会社東横イン、農業公園信貴山のどか村、株式会社福井商会、松原市観光協会、八尾河内音頭まつり振興会、和CAFE布穀薗(五十音順)

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「18086」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

龍田大社

奈良県生駒郡

龍田大社のイメージ

古来、龍田大社は歴代の朝廷からも深く信仰された由緒ある神社で、天御柱大神(志那都比古神)と国御柱大神(志那都比売神)をおまつりしています。
祭神は別名を龍田神・龍田風神ともいい、社伝によると、崇神天皇の御代に凶作が続いたとき、夢でこの風神のお告げをうけて創建されたということです。
延喜の制では名神大社に列し、古くから五穀豊穣・航海安全に霊験ありとして崇敬を集めています。旧社格は最高の官幣大社。
今も毎年行われる風鎮祭は、天武天皇(675年)に始まると伝えられる由緒を持っています。

開運橋

奈良県生駒郡

開運橋のイメージ

開運橋は昭和6年に完成し、「カンチレバー」と呼ばれる構造をしています。戦前の上路カンチレバー橋はほとんど残っておらず、現存する橋ではこの開運橋が最古の橋になります。また、橋脚も鉄骨を組み合わせて作られたトレッスル(橋脚)で珍しいものです。
こうした土木史上の文化財的価値が認められ、開運橋は、平成19年に国の登録有形文化財に登録されました。

橋からバンジージャンプが楽しめると話題の人気スポットでもあり、高さは30mほどなので、初心者でもチャレンジしやすい高さになっています。

郡山城跡

奈良県大和郡山市

郡山城跡のイメージ

郡山城は筒井順慶の築城(1580年)に始まる大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。
城郭は徐々に整備されましたが、早くも豊臣秀長の時代にほぼ完成し、増田長盛(ましたながもり)の外堀普請(ふしん)によって城郭の規模が定まったとされています。
現在、天守は残っていませんが、城郭中心部は奈良県の史跡に指定され、内堀や石垣が良好に残っています。近年、追手門・追手向櫓・東隅櫓などの門や櫓(やぐら)が復元され、往時の威容をしのぶことができるようになりました。一帯は「郡山城跡公園」として公園化されており、散策道も整備されています。2017年には「続日本100名城」(財団法人日本城郭協会選定)のひとつに選ばれました。
また、古くから桜の名所としても知られ、春になると城跡一帯が桜の花で包まれ、この時期に開催される「お城まつり」にはたくさんの人で賑わいます。1990年には「日本さくら名所100選」(公益財団法人日本さくらの会選定)のひとつに選ばれました。さらに、2022年11月10日には、長年の悲願であった国の史跡に指定されました。

慈光院

奈良県大和郡山市

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小泉藩城主片桐貞昌が1663年に創建。庭園は、茶道石州流々祖であるだけにわび・さびの境地を表現する日本の名園の1つで国指定史跡・名勝。書院、茶室、手水鉢等も国重要文化財。

百済寺 三重塔

奈良県北葛城郡広陵町

百済寺 三重塔のイメージ

鎌倉時代に建築された寺院で、「日本書紀」舒明天皇十一年(639)七月の条に「詔して曰く、今年大宮及大寺を作らむ。百済川の側を以て宮処と為す。是を以て、西の民は宮を造り、東の民は寺を作る。即ち書直県(ふみのあたいのあがた)を以て大匠(おおたくみ)と為す。」とある百済大寺の伝承地です。三重塔は創建時の九重塔の名残とされています。大織冠と呼ばれる本堂は、談山神社の本殿を移築したもので、毘沙門天像、菩薩立像をまつられています。弘法大師が掘ったと伝えられる梵字池が境内に残っています。

讃岐神社

奈良県北葛城郡広陵町

讃岐神社のイメージ

讃岐神社は延喜式神名帳に記された神社と考えられ、現在は大物忌命・倉稲魂命・猿田彦命・大国魂命を祭ります。『神名帳考証』には讃岐国と関係が深い祭神である景行天皇の皇子五十香足彦命を祭ると記されています。『竹取物語』でかぐや姫に求婚する五人の貴公子の名は壬申の乱(672)で活躍した実在の人物であり、かぐや姫の館に求婚のために通った記事から、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉郷(現広陵町三吉)であり、かぐや姫の育ての親である讃岐造(さぬきのみやつこ)のモデルはこの地に勢力を持った讃岐氏と考えられています。

信貴山朝護孫子寺

奈良県生駒郡平群町

信貴山朝護孫子寺のイメージ

今から1400余年前、聖徳太子は物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至った。
太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かった。
その日は奇しくも寅年、寅の日、寅の刻であった。
太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創設、信ずべし貴ぶべき山「信貴山」と名付けた。
以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されている。
また、醍醐天皇の御病気のため、勅命により命連上人が毘沙門天王に祈願をすると、たちまち天皇の病気は癒えたため、天皇、朝廟安穏、守護国土、子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の称号を賜ることになった。

元山上千光寺

奈良県生駒郡平群町

元山上千光寺のイメージ

天武天皇の白鳳12年の創建といわれ、役行者(小角)の開基と伝えられている。
女性に開放され、女人山上とも呼ばれ、女性の修験者が多い。
境内には本堂(観音堂)、行者堂、大師堂、鐘楼の他、宝蔵、惣門等が存在する。
本堂の本尊は小角作と伝えられる十一面千手観音立像。
行者堂には町指定文化財の、役行者・前鬼・後鬼像等が祀られている。
境内の鐘楼にかかる鐘は、元仁2年(1225)の銘があり県の指定文化財。
その他、石製の宝塔や十三重塔があり、町指定文化財になっている。また、多くの行場が存在する。
若い頃に役行者が修行され、後に大峰山の行場を開いたことから「元山上」と呼ばれ、近鉄の駅名にもなっている。
様々な体験修行やユースホステルの運営なども行う。

達磨寺

奈良県北葛城郡王寺町

達磨寺のイメージ

達磨寺は臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺です。
達磨寺という名前のとおり、お寺の歴史には達磨大師というお坊さんが深く関わっています。
飛鳥時代、飢えた人が道のほとりに臥せっていたところ、聖徳太子が通りがかり、飢人に飲み物と食べ物、そして自分の衣を脱いで与えました。
後日、聖徳太子は飢人のようすを使いの者に見に行かせたが、すでに亡くなっていたため、対太子は飢人を埋葬し、塚(お墓)を築きました。
さらに後日、飢人のお墓のようすを見に行くと、遺体が消えていて、棺の上に太子が与えた衣が畳んで置かれており、太子はあの飢人は聖人だったと言った物語(片岡飢人伝説)が日本書紀に記載されていました。
その後、飢人が実は達磨大師の化身だったと理解されるようになり、今も本堂の下にある達磨寺3号墳は達磨大師のお墓であると言われています。
このように聖徳太子とゆかりがある達磨寺の本堂には、聖徳太子像や達磨大師像が安置されています。
また、境内には聖徳太子の愛犬であったされる雪丸の石像や筒井順慶によって達磨寺に埋葬されたといわれる戦国武将 松永久秀のお墓もあります。
土日には、王寺観光ボランティアガイドの皆さまが無料でガイドも行っておりますので、ぜひお立ち寄りいただければとおもいます。

久度神社

奈良県北葛城郡王寺町

久度神社のイメージ

久度神社にお祀りされている「久度神」は「クド」という言葉からかまどの神様であるとされています。783年に久度神社を官社にするとの記事が続日本記に見えるので、古く奈良時代にまでさかのぼることができる神社です。
大和川からも確認できる大きな看板も目印です!

法隆寺

奈良県生駒郡斑鳩町

法隆寺のイメージ

聖徳太子が建立した寺院として1400年の時を越えて受け継がれ、世界最古の木造建築として、日本で最初に世界文化遺産に登録されました。境内の拝観は、五重塔や金堂を中心とする西院伽藍と、仏像や宝物が安置される大宝蔵院、夢殿を中心とする東院伽藍に分けられ、飛鳥時代をはじめとして各時代を代表する建築や宝物が伝えられています。
拝観時間:2/22~11/3 8:00~17:00
     11/4~2/21 8:00~16:30

法起寺

奈良県生駒郡斑鳩町

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『聖徳太子伝私記』に引用された「法起寺塔露盤銘」によると、推古30年(622年)に聖徳太子が山本宮(岡本宮)を寺に改めるよう山背大兄王に遺言したことにより建立されたとされます。 岡本の地に存在していることから岡本寺とも呼ばれ、聖徳太子が推古天皇に法華経を講じた岡本宮の跡であると伝えられています。
拝観時間:2/22~11/3 8:30~17:00
     11/4~2/21 8:30~16:30

法輪寺

奈良県生駒郡斑鳩町

法輪寺のイメージ

推古30年(622年)、父聖徳太子の病気平癒を願った山背大兄王によって建立されたと伝えられ、地名にちなんで三井寺とも呼ばれています。法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔として美しさを称讃された三重塔は昭和19年(1944年)の落雷によって焼失しましたが、昭和50年(1975年)に昔ながらの工法を用いて復元されました。
拝観時間:3月~11月末日 8:00~17:00
     12月~2月末日 8:00~16:30

斑鳩神社

奈良県生駒郡斑鳩町

斑鳩神社のイメージ

法隆寺の別当である湛照僧都が、自身が菅原氏の子孫であるとして菅原道真を祀ったことに始まります。また、秋祭りでは法隆寺境内の御旅所まで神輿が渡御するなど、現在でも法隆寺と深い関係があります。

廣瀬大社

奈良県北葛城郡河合町

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『日本書紀』天武天皇4年(675年)に、廣瀬の河曲に大忌神を祭らせたとあるのが廣瀬神社(廣瀬大社とも呼ばれています)のことです。以来、戦国時代に途絶えるまで、毎年4月と7月に朝廷より勅使が遣わされ、龍田の風神と共に祭祀が執り行われていました。社伝では崇神天皇の時代に龍神が現れ、その龍神を祭ったのが起源とされています。廣瀬神社は奈良盆地の多くの河川が合流して大和川となる位置にあり、古代からの交通の要衝にあったことから、天武朝以前から祭祀が行われていた蓋然性は高いといえます。
主祭神は大忌神の異名を持つ若宇加能売命であり、水の神、五穀豊穣の神として厚く信仰されています。

御幸橋

奈良県生駒郡

御幸橋のイメージ

安堵町一帯は、奈良盆地の中で最も低いところに位置し、奈良盆地を流れる河川のほとんどがこの地付近で合流します。飛鳥時代には難波と飛鳥を結ぶ水上交通の要衝で、隋や唐などの、大陸の国々との交流に重要な拠点となっていました。日本書記にも「阿斗桑市」(あとのくわいち)や「阿斗の河辺の舘」(あとのかわべのむろつみ:迎賓館のこと)などの記述が見られるように、この「阿斗」が後に「安堵」になったと伝わります。
この水上交通は、のちに大きな流通へと発展し、大和の経済を支えました。水量がある河内の方は剣先船(けんさきぶね)が、水深の浅い大和の方は「魚梁船」(やなぶね)とよばれる小型の川船が荷を運んでいました。

飽波神社

奈良県生駒郡安堵町

飽波神社のイメージ

東安堵・西安堵の総鎮守社で、素戔嗚尊が祀られています。平成7年にはおよそ100年の時を経て復興された「なもで踊り」の絵馬や祭具、楽器を所蔵しています。鳥居に掲げられた額は富本憲吉の筆によるものです。