※本ツアーは終了しました。
聖徳太子が後半生を過ごした斑鳩を巡るコース
日本最初の世界文化遺産であり、世界最古の木造建築である法隆寺は、聖徳太子が建立した斑鳩寺が焼失したのち再建された寺院です。太子はこの地に斑鳩宮を建て、605年に飛鳥から移住しました。母や妃、子どもたちが近くに住まい、太子が最期を迎えたのもここ斑鳩の地でした。太子は斑鳩が飛鳥へも難波へも行きやすい点に着目したと思われます。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「63940」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
上宮遺跡公園
奈良県生駒郡
斑鳩宮の一部とも考えられる聖徳太子晩年の宮・飽波葦垣宮の有力推定地です。同宮で太子は亡くなりました。現地では奈良時代の宮殿遺構が確認され、歴史公園となっています。
法隆寺
奈良県生駒郡
法隆寺の下層には、聖徳太子が住んだ斑鳩宮と創建した斑鳩寺の遺構が眠っています。斑鳩宮は現在の東院伽藍付近にありました。冠位十二階や十七条憲法の制定が終わり、605年に太子は斑鳩に移住しました。そして宮の南西に隣接して建設をはじめたのが斑鳩寺です。斑鳩寺は金堂と塔が縦に並ぶいわゆる四天王寺式伽藍配置を採用しており、若草伽藍とも呼ばれています。斑鳩寺は670年に焼亡し、その後まもなく法隆寺が再建されました。法隆寺金堂の本尊釈迦三尊像は太子と妃の膳部菩岐々美郎女が病から回復するよう祈念して造像され、夢殿の本尊は救世観音菩薩像の名で知られ、太子等身像ともいわれ長らく秘仏とされた像でした。※スタンプは、南大門付近で獲得できます。
斑鳩町文化財活用センター
奈良県生駒郡
豪華な副葬品で脚光を浴びた6世紀後半の藤ノ木古墳や法隆寺、西里の古い町並みからほど近く、映像や出土品のレプリカによる藤ノ木古墳の紹介や情報発信をおこなっています。
龍田神社
奈良県生駒郡
聖徳太子が斑鳩に寺を建立するに際し、龍田大社(04-3)の神を勧請し祀ったと伝えられています。本社前は古い街道で、葬地へ向かう太子の亡骸はここを通ったと推定されます。