スタンプラリーアプリ「Spot Tour」を使って難波、道頓堀、千日前周辺を観光することができるコースです。大阪ミナミを観光するにははずせない定番スポットから、地元の人もなかなか足を運ばない、知られていないけれど魅力的なスポットまでこのコースに詰め込んでみました。観光のコースとして1日楽しむことができると思うのでゆっくり歩いて大阪ミナミの魅力を是非堪能してください!
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「70417」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
戎橋
大阪府大阪市
南西にグリコの看板があり写真スポットとしても人気な戎橋。橋が架けられたのは17世紀、江戸時代の一時期、南詰に人形浄瑠璃の芝居小屋があり、「操(あやつり)橋」と呼ばれたこともありました。
幕末期には、江戸幕府が「戎」という外国人を蔑む言葉の使用を禁じたため、一時的に永成橋と改名されました。しかし、わかりにくいという理由で明治時代に入ってから再び戎橋の名に戻りました。
浮世小路
大阪府大阪市
賑やかな道頓堀商店街に「こっそり」たたずむ浮世小路。道頓堀の賑やかな街を歩いていると、小さすぎて見逃してしまいそうなくらい細い路地、幅はなんと約1.2m。道頓堀商店街から法善寺への抜け道には、江戸時代からの昭和初期までの大阪を再現したディスプレイが施されています。
上方浮世絵館
大阪府大阪市
歌舞伎をはじめ、浄瑠璃、からくりなど、さまざまな芝居が興行され、道頓堀五座が立ち並んでいたミナミの地に、平成13年(2001)4月、上方浮世絵館が開館しました。上方浮世絵を専門に展示する美術館としては、世界で唯一です。
作品のすべてが館長・高野征子(たかのせいこ)氏の収集したものからなる私設美術館で、上方浮世絵は世界にもOsaka Printsとして知られ、江戸時代後半から明治時代初期(1800年代)に大阪で作られた人気役者絵を中心に30点の作品が収蔵・展示されています。
法善寺
大阪府大阪市
江戸時代、千日前には大きな墓地があり、そこに眠る霊を鎮めるために千日ごとに念仏供養が行われていました。そのためお寺は「千日寺」の通称で呼ばれ、「千日寺の前」という意味で、このあたりの地名を「千日前」と呼ぶようになったようです。
昭和20年(1945)の大阪大空襲では本堂が焼け落ちてしまいましたが、本尊の阿弥陀仏は運び出されて難を逃れました。たくさんの人たちが水をかけて願いをかけてきた水かけ不動も無事、戦災をくぐりぬけて今に至っています。
また、大阪を代表する作家、織田作之助の出世作『夫婦善哉』はこの法善寺が舞台になっています。法善寺横丁では作中に登場した夫婦善哉を味わうことができますよ。
楽天地跡地(現ビックカメラ)
大阪府大阪市
この場所は楽天地からビックカメラまで、様々な変遷がありました。明治の終わり「ミナミの大火」という火事のあと千日前のにぎわいを取り戻そうと千日前楽天地という大レジャーランドが建てられました。楽天地は大変人気がありましたが昭和のはじめに閉館となります。その2年後大阪歌舞伎座が誕生、4000人収容の大劇場で上方歌舞伎の殿堂として知られました。大阪歌舞伎座が難波へ移転した後、ここは千日デパートとなりましたが、大きな火事で焼失、その後に建てられたプランタンなんばを経て今のビックカメラとなっています。
cafestreetなんば
大阪府大阪市
御堂筋と戎橋筋を結ぶ石畳のストリート。「夜のカフェテラス」(ゴッホ作)に着想を得て2006年に完成。電線を地中化したことで日差しが差し込み、夜には星空が広がります。
大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)
大阪府大阪市
大阪府立上方演芸資料館は、上方演芸や喜劇の歴史と文化が学べる施設として、平成8年(1996)に誕生。一時休館を経て平成31年(2019)4月24日にリニューアルオープンしました。「笑い」を大切にする大阪の文化にふさわしい芸能として発展してきた演芸・喜劇の魅力を伝える全国で唯一の「笑い」の資料館です。これまでに収集してきた資料は約6万点。過去に放送されたテレビ・ラジオの3,000本に及ぶ演芸番組の視聴とともに、上方演芸・上方喜劇に関する書籍を閲覧していただけます。
なんばグランド花月
大阪府大阪市
よしもとクリエイティブ・エージェンシーが運営するお笑い・喜劇専門の劇場。その昔お化け屋敷や木下大サーカスなどがありました。
千日前道具屋筋商店街
大阪府大阪市
喰いだおれの大阪を縁のしたで支えるプロ御用達の専門街。あらゆる厨房機器に食器、のれんや看板、食品サンプルなどの専門店がひしめいています。
もともと千日前から四天王寺や今宮戎神社への参道にあたり、古道具屋が立ち並んでいました。明治15年(1882)に「道具屋筋」という名前が付いたようです。大正時代は、単なる古道具屋街から仕事に使う道具の専門店街へ、昭和に入る頃には飲食店の道具を売る店が目立つようになり、現在の道具屋筋の姿につながっています。
最近では道具を売るだけではなく厨房設備全体のプロデュースまで行う店もあり、道具屋筋は進化し続けています。プロの道具を扱う専門店が並ぶ街並みは圧巻、他の商店街では感じることのできない雰囲気を楽しむことができます。中にはサンドブラスト、食品サンプル製作など体験できる店も、周辺には様々な飲食店もあり食を楽しむこともできますよ。