※本ツアーは終了しました。
主に歴史をしっかり巡るコース。泉岳寺をはじめ貝塚が見られる公園や歴史の息吹が感じられるスポットが多数。
これで高輪の歴史通になれるかも!?
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「17944」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
高輪ゲートウェイ駅
東京都港区
泉岳寺
東京都港区
1612年に徳川家康が外桜田に創立したのが始まりですが、1641年に寛永の大火で焼失。その後、時の将軍・家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に再建されました。
「忠臣蔵」の元となった赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂義士が葬られており、現在も多くの参拝客が訪れています。
また、創建時より七堂伽藍を完備し、諸国の僧侶二百名近くが参学する禅寺江戸学寮の一つとして名を馳せていました。
年に2回の「赤穂義士まつり」や、坐禅の指導が受けられる月に1度の「参禅会」などの行事も行われています。
大石良雄外十六人忠烈の跡
東京都港区
忠臣蔵で有名な赤穂事件を行った赤穂浪士のうち大石内蔵助良雄ら十七人が切腹した地の碑。当時は熊本藩細川越中守下屋敷の下屋敷でした。顕彰碑には「切腹した場所は、大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を背負った地で腹を切ったという。」と記載されています。切腹の跡地は高松中学校にて塀の一部を囲って旧細川邸の庭園として保存されています。
旧細川邸のシイ
東京都港区
かつて熊本藩細川家の下屋敷があった港区高輪地区総合支所裏手の高台に、スダジイの老木があります。主幹は高さ10mあたりで切断され、下部の空洞は樹脂で埋められていますが、幹囲が8m以上ある巨木です。このスダジイは、歴史上の様々な出来事、江戸~東京の街が度重なる火災や震災、戦災を乗り越えて発展を続けてきた姿を、静かに見つめ続けてきたことでしょう。
三田台公園
東京都港区
縄文時代の暮らしを見ることができる遺跡公園。
近隣の伊皿子貝塚遺跡から発掘された住居跡と貝層の断面が復元されており、約4000年ほど昔の原始・古代の人びとの生活の様子を知ることができます。貝塚の断面は、伊皿子貝塚を保存したもので、海に面した港区の長い歴史を感じることができるでしょう。
園内にある草地のビオトープでは、バッタやカマキリなどの昆虫を見ることができます。
亀塚公園
東京都港区
「亀塚公園」という名のとおり、園内には「亀塚」が保存されています。その名にちなんだ亀のスプリング遊具や園名板なども設置されています。
また、園内には都心では珍しくなったカントウタンポポを保全しており、毎年4月から5月に開花の最盛期を迎えます。
済海寺
東京都港区
浄土宗寺院の済海寺は、周光山長寿院と号します。済海寺は、法誉上人念無和尚(寛永3年1626寂)が開山、長岡藩主牧野駿河守忠成(法名廣暢院殿教套心鈬威堯大居士)が開基となり、元和7年(1621)創建、以後牧野家の菩提寺となっていたといいます。※こちらの寺院は中に入ることが出来ません。撮影の際は周囲にご注意頂きます様お願い致します。
キリシタンの碑
東京都港区
江戸三代将軍・徳川家光が元和9年に50人のキリシタンを処刑した跡で、15年後にも同じ場所でキリシタンが処刑されたと言います。ここを舞台に主人公の「男」と修道士の「ネズミ」をめぐる物語をつづったのが、遠藤周作の短編「札の辻」です。
住友不動産三田ツインビル西館
東京都港区
四季折々の景色を楽しむことができる1haの広大な庭園と、都心を一望する巨大オフィスフロアから成る、地上43F建て、地域と環境に優しい三田の赤いシンボルタワー。
高輪大木戸跡
東京都港区
江戸時代に、人やモノの出入りを管理することを目的として、街道上の江戸内外の境界に設置された簡易な関所が「大木戸」。旅人やその送迎客で賑わいました。
高輪の大木戸は、江戸時代中期の宝永7年(1710)に芝口門に建てられたのが起源で、享保9年(1724)に現在地に移されました。幕末期に伊能忠敬が全国測量の基点にしたとされています。
高輪ゲートウェイ駅
東京都港区